今日という日は、もったいない
先週末に、ずっと気になっていた福島二本松の祖父母の墓参りにようやく行く事ができた。
あいにく雨降りで、傘をさしながらのお墓の掃除やお花の供養、お線香を焚くのも一苦労。
もっと感傷的になるかと思っていたのに、それどころでなくなってしまった。
家族で、あ〜だ!こ〜だ!とワイワイ大騒ぎをして、にぎやかな墓参りになった。
祖父母には元気な家族の姿を見てもらえたのは、まぁ結果良かったのかな。
ケンジを紹介することができたし。
曾祖父が福島二本松の顕法寺という古い寺の九男坊の末っ子に生まれた。
お寺を継ぐ立場にはなかったので、その後東京美術学校 (旧制)、現東京藝大で、岡倉天心らと同時代に日本画を学び、
そのまま東京や中国に渡り、日本美術の教鞭を取っていたと聞いている。
そういうルーツに踊らされて、その気になって美大へ進み、なんとかその道の片隅で稼いで暮らす今の自分がいる。
そんな由縁もあって、この東北の震災、原発の被害というのは、
無意識に自分の心を重苦しく縛り、いまだ鬱鬱とさせる。
遠い親戚にあたるご住職が、震災の影響をお話してくださった。
二本松は、地震後幸いに電気も水道も止まることがなかったので
学校は、すぐに自衛隊や医療施設の本部拠点となり、子供達の卒業式もなにもかもふっとんでしまったそう。
波江町の役場も二本松の役場に移り、震災の対策対応に追われる日々が続いている。
二本松では、子供達は外で遊ぶ事はなくなり、学校の窓は閉め切られ、マスクをして外出をしている。
地域の子育て世代のお母さん達は神経を使い、
子供達も食卓にあがる食材の生産地を気にしなければならない毎日がずっと変わらず続いていると。
黙ってお話を聞く事しかできなかった。
それでも、毅然として「おかげさまでどうにか今無事に暮らせています」という、ご住職の「気」の籠った姿に、
自分こそ律して生きなければという思いが湧いた。
二本松を後にして、那須高原に両親が宿をとってくれた。
翌朝、母と朝の温泉に浸かっていた頃、客室のベランダから空に虹がでていたと
父がカメラに撮った写真を送ってきてくれた。ケンジも部屋からこの虹を眺めていた。
決して見通しの良い状況ではないけれども、虹色のアーチが出迎えてくれている。
厚い雲だっていつかきっと晴れる。
あいにく雨降りで、傘をさしながらのお墓の掃除やお花の供養、お線香を焚くのも一苦労。
もっと感傷的になるかと思っていたのに、それどころでなくなってしまった。
家族で、あ〜だ!こ〜だ!とワイワイ大騒ぎをして、にぎやかな墓参りになった。
祖父母には元気な家族の姿を見てもらえたのは、まぁ結果良かったのかな。
ケンジを紹介することができたし。
曾祖父が福島二本松の顕法寺という古い寺の九男坊の末っ子に生まれた。
お寺を継ぐ立場にはなかったので、その後東京美術学校 (旧制)、現東京藝大で、岡倉天心らと同時代に日本画を学び、
そのまま東京や中国に渡り、日本美術の教鞭を取っていたと聞いている。
そういうルーツに踊らされて、その気になって美大へ進み、なんとかその道の片隅で稼いで暮らす今の自分がいる。
そんな由縁もあって、この東北の震災、原発の被害というのは、
無意識に自分の心を重苦しく縛り、いまだ鬱鬱とさせる。
遠い親戚にあたるご住職が、震災の影響をお話してくださった。
二本松は、地震後幸いに電気も水道も止まることがなかったので
学校は、すぐに自衛隊や医療施設の本部拠点となり、子供達の卒業式もなにもかもふっとんでしまったそう。
波江町の役場も二本松の役場に移り、震災の対策対応に追われる日々が続いている。
二本松では、子供達は外で遊ぶ事はなくなり、学校の窓は閉め切られ、マスクをして外出をしている。
地域の子育て世代のお母さん達は神経を使い、
子供達も食卓にあがる食材の生産地を気にしなければならない毎日がずっと変わらず続いていると。
黙ってお話を聞く事しかできなかった。
それでも、毅然として「おかげさまでどうにか今無事に暮らせています」という、ご住職の「気」の籠った姿に、
自分こそ律して生きなければという思いが湧いた。
二本松を後にして、那須高原に両親が宿をとってくれた。
翌朝、母と朝の温泉に浸かっていた頃、客室のベランダから空に虹がでていたと
父がカメラに撮った写真を送ってきてくれた。ケンジも部屋からこの虹を眺めていた。
厚い雲だっていつかきっと晴れる。
by n_home
| 2011-11-09 11:14
| 家族のアルバム