額装
私が以前勤務していた会社の社長は、こよなくポスターアートを愛している人だった。
いや、傍から見れば「キの字」「取り付かれている」に近い。ご自身そう話していた。
ついには、自身のコレクションで、ニューヨークMoMA、東京都庭園美術館で
ロシアアヴァンギャルドステンベルグ兄弟や
カッサンドルやアールデコのポスター展が開催された。
もちろん歴史的先人、巨匠の足下はおろか千歩、万歩、億歩下がっても
まだ下がり過ぎじゃない私と同一視することはこれっぽっちも無かったけれど
この世の誰よりも、多分デザインした私以上に
その絵柄や形、色彩に大きな意味と楽しみと価値を感じてくれたし、愛してくれた。
(時に困惑するぐらい。・・・実際私はそこまで考えてない事の方が多った。
今思えば、のほほんとした私に意図する事の大切さを理解させたかったんだろう。)
*誤解を招くので追記:私や私の仕事が愛されたという事でなく、「デザイン」という仕事を愛していた。
ポスター等という媒体は、所詮、ペラペラの紙切れ、
大量生産されて御用済みは廃棄される。
どんなに素敵なポスターでも、思いいれの無い人にはただの印刷物にしか映らない。
それ故、社長のポスターの額装へのこだわりは尋常でなかった。
少し過剰じゃないかなと、若輩の私なんかは思う程であったが
『馬子にも衣装』という表現が正しいかどうかはさておき。
ただの印刷物が誰の眼にも「作品」として映る。(ダメなモノはダメだけど)
人間も見た目で判断される部分が多いのと同様、装いは大事なのである。
額装は、社長の愛の表現でもあった。 ・・・ちょっとわかりにくかったけど。
人生にはもっと青信号が必要だ。-----ロドニーホワイト
赤信号ばかり気にしている私にも教訓だわ。
ポスターの原画は、ベニア板にペイントしてある。
この大きさではわからないがバイクに蝶板も張り付いている。
木の質感とてもいいので、そのままでも良い雰囲気だけど
設置壁面と主役のポスターの色調から、
生地のトーンがいきる程度にホワイトで薄く塗装する。
ついつい、どれもこれも主役になりがちの夫の物作り。
味のある脇役を体験してもらいたい。主役を立てながら味付けをしていく。
実は、生活を彩る雑貨や家具だって、そういう物のほうが多いのだ。
音楽だって料理だってそうだ。どいつもこいつも主役を張ってちゃうんざりしちゃう。
その匙加減がムズカシイのよ。
私も駆出しの頃、Tシャツプリントデザインで主役を奪う気構えで(笑)やってたら
こういうのは、ちょっと「気を抜いたぐらい」のがカワイイし着やすいんだとその社長から教えられた。
血気盛んだった私に、主役は洋服であり、
いや、着る人だということを言いたかったんじゃないかな。
でも、当のご本人は相当血気盛んな人だったけどねぇ・・・
今日は、なんだか社長へのオマージュになってしまった。
by n_home
| 2010-01-18 11:48
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